この言葉の使い方は誤解されることが多い。
人のためと思って行っても却って相手のためにならないという、直訳で受け取る人が多く、誤訳されることがある。
先日、ユダヤ人の方にとって大切な書物であるタルムードの中にある大切な言葉が素敵だったので紹介したいと思う。
他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。
ふりかける時に自分にも数的かかる。
ユダヤ5000年の教えより
日本のことわざは誤訳の可能性が高いものが多い。
それは日本の文化であり、そのおかげで発展した、俳諧の世界もある。
しかし、現代人が誤訳を起こしてしまう教訓というものはいささか不安が残る。
教訓というのは先人たちの知恵であり、それを間違った解釈をしてしまうのは実にもったいないことであると思う。
宗教に関するものは日本ではタブーと言われ、それに関する話をしないが故にその知識も日常生活で必要としていないため、勉強自体がなされないことが多い。
しかし、どの宗教を信仰しているかということと、宗教に関する知識を得なくてもいいというのはまた別の話であると思う。
仏教徒が多い日本でも、他の経典から学ぶことは間違いなく大事なことである。
彼らもまた我々の先人であることには変わりないのだから。
関係ない・学ぶ必要がない
という言葉で片づけてしまうのはもったいないと思うのだ。
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